岡山県新見市・本誓寺

岡山県新見市・虎勢山 本誓寺は、永代供養及び水子供養を行う、臨済宗(禅宗)寺院です。

参道十三仏25年5月

 虎勢山本誓寺の本山は臨済宗永源寺にして、釈迦牟尼世尊を本尊とし、永源寺開山正燈国師の法統をつぎ、自己に本来そなわる尊厳で純粋な人間性(仏性)を座禅・公案・読経・作務などの修行及び実生活を通して、修養実践することにより人格の完成をめざして、自覚(見性)することを旨とします。心をもって宗(仏心宗)とし、「この身即ち仏なり」と自覚して、祖先を敬い、お互いを敬い、日常生活で日々一層の精進を行って、菩薩の行願を果たすことを目的とします。
 当寺檀信徒は位牌堂に登録を必要とします。そして一家の葬儀・法要等の儀式、その他臨済宗の教義に基づく行事に精進参加する責務があります。そのほか永代供養墓地、合同墓 (宗旨に関係なく、使用者の子孫に代わり、本誓寺が永代に渡り、供養維持管理する墓地)及び通常墓地の永代使用料による永代供養と水子供養を行っています。
  • ◆「開山」重雲大和尚木造(本堂内)

    【1】開基・開山

    当寺に記録はないが、大佐町史記載の本誓寺遠起によると開基応永年間(1394年~1428年)で「開基東郷左金吾・神応道安大居士」開山重雲大和尚となっている。その場所は、現在の新見市大佐田治部3885番地の1で、虎勢山裏山東方向に位置し、現在寺屋敷跡地は寺所有の山林となっている。
    ◆photo-「開山」重雲大和尚木造(本堂内)

  • おもな変遷

    【2】おもな変遷

    開山・開基のころの記録がないので、不明であるが、最初は真言宗の寺院として建立されたとも言われている。
    江戸時代初期の1670年代に臨済宗永源寺派の小本山として、多くの修行僧をおいて勢力があった新見市上熊谷(旧備中阿賀群上熊谷村多治部)真福寺が現在の新見市大佐田治部(旧備中阿賀群東多治部)方面への勢力拡大拠点として提山良山禅師1679年(延宝7年)2月13日遷化を臨済宗の第一世として入山させることによって、臨済宗永源寺派末寺(大正14年発行永源寺宗派図)となる。その時期に大佐田治部目木に存在した真言宗寺院、利済寺を合併し、関係仏像が本誓寺に移転されて、現在に至っている。

    現在地の初期の寺院建物は本堂と庫裡が2棟に別れていたと記録されているが、詳しい資料は残っていない。その後江戸時代中期1770年代に第3世住職、中興石峰祖泉禅師(安永7年遷化)によって本堂・庫裡が一体化され大屋根茅葺きの本堂が再建されている。そして昭和28年に茅葺き屋根から瓦葺き屋根と庫裡の改修が行われましたが、当初から220年経過した建物の老朽化が傾斜とともに進行して、平成7年の全面改築に到り、現在の本堂・庫裡が落慶されている。
    ◆photo-上から、本堂、本尊、改築後の本堂内

  • 本尊・釈迦如来と脇侍仏

    ◆本尊・釈迦如来 →(四方四仏では北方に浄土が定められています)
    当寺院の本尊・釈迦如来像は、お釈迦さまが菩提樹下で「降魔成道」(ごうまじょうどう)に入った{座禅中に悪魔(欲望)が現れて誘惑するが、それに打ち勝ち悟りの境地に到達する}姿で、両手を腹部中央で重ね定印をとり、結跏趺坐(けっかふざ)して、宝冠を戴く禅定像です。

    ◆脇侍・薬師如来 →(四方四仏では東方に浄土が定められています)
    当寺院の脇侍・薬師如来像は、本尊釈迦如来と同形で、定印の手に薬壺を持っておられます。

    ◆脇侍・弥勒菩薩 →(四方四仏では南方に浄土が定められています)
    当寺院の脇侍・弥勒菩薩像は一般の菩薩と同様、宝髻(ほうけい)を結い、将来如来になることが約束されていることから、菩薩形ながら法衣をつけた姿の禅定像です。

  • 本尊・釈迦如来 「北方浄土」

    ◆本尊・釈迦如来 「北方浄土」

     仏教の開祖、お釈迦さまはインドの釈迦族の聖者という意味から釈迦牟尼(しゃかむに)と呼ばれ、歴史上に実在した唯一の如来です。その釈迦如来像はほとんどが質素な服装で、かぶりものもアクセサリーもなく、手に持ち物がない、というのが普通ですが、当寺の本尊、釈迦如来は頭に冠を戴き、アクセサリーを身につけています。この形の釈迦如来像は華厳教主の釈迦如来とされ、「光明遍照」(こうみょうへんじょう)太陽の意で、「遍」(あまねく)「照」らす、仏智の広大無辺なことを象徴として、真理の法(本当の心)に目覚め悟りを得る像とされています。
     座禅でお釈迦さまは自分の心に入り込んでいる「魔」は、味方ではなく敵であるとされ、敵ならば、これと戦って追い出さなければならない。それは「魔」を降伏(ごうぶく)させることで、自分の心の内側にある誘惑を退け、迷いを断ち切ることにより、「成道」(悟りの境地)に達するとされています。
     江戸時代(1680年代)前住恵珍の作とされる、この気品ある釈迦如来像は、自己に本来そなわる尊厳で純粋な仏性(人間性)を実生活を通して、修養実践する壇信徒の本尊さまとして尊崇されています。

  • 本尊脇侍・薬師如来 「東方浄土」

    ◆本尊脇侍・薬師如来 「東方浄土」

     病をいやしてくれる仏として、「南無薬師瑠璃光如来」(なむやくしるりこうにょらい)と称名を繰り返して称え、古来から信仰されています。苦悩多き現世で暮らす人々を心身両面に渡ってささえていることにより、人々が如来の滋光に照らされていることに目覚め、慈悲をいただき得た時に、多くの病から救われるとされています。 現在でも「お薬師さん」、何々薬師の愛称で呼ばれ親しまれています。 薬壺を持ち立像も坐像もありますが、当寺院の薬師如来は定印を執る坐像です。薬師は如来となる前の菩薩時代に十二の大願を誓って衆生の病を救い、人々の福寿を延ばすことを本願として修行し、この誓願を成しとげて如来になったと言われています。その大願には応病与薬といって、それぞれの病に応じて薬を与え、疾病をいやし、寿命をのばし、衣服を与えるなどの現世利益的な功徳によって、幅広い多くの信仰を集めています。
     禅宗では食事の時、五観の偈(食事のことば)を唱えます。それ内に食事は肉体を療養するための良薬としていただくものであると言っています。健康の源は毎日の食事と正しい信心の生活であり、そして健康に暮らせるのは、薬師如来のご守護のおかげだと悟り、報恩謝徳の日常生活を励むように説いています。

  • ◆本尊脇侍・弥勒菩薩 「南方浄土」

    ◆本尊脇侍・弥勒菩薩 「南方浄土」

     弥勒菩薩は釈迦如来の次に仏となることが決まっている菩薩とされ、「釈迦如来の補処の菩薩」または「当来仏」とも呼ばれています。「補処」(ふしょ)とは一生補処の略で、この一生を過ぎたのち仏の位処を補う意味で、弥勒菩薩は現在悟りを開いて仏になるため、兜率天(とそつてん)で修行中であるといわれています。当来仏は、これからこの世に来て人々を救う如来で、未来仏のことであり、そのため弥勒菩薩像は如来の姿であらわされることが多いとされています。「弥勒三部経」という教典によると、釈迦如来がこの世を去ってから56億7千万年たってから、この人間社会に生まれ、悟りを得て仏となるとされ、釈迦如来の衣を受け継ぎ、6万年の間この世にあって人々を悟りに導くとされています。
     弥勒菩薩のこの世への下生(げしょう)は全く、気の遠くなるような未来世ですが、これは無限に広がる時間、滅びることのない永遠を意味して、弥勒菩薩の無限大の心、無量の慈悲心、永遠の光明、ほろびることのない生命の光明の仏さまとされています。当寺院の脇侍としての由来などの記録がないので不明であるが、本尊が釈迦如来であることから、関連して未来仏の弥勒菩薩が脇侍に安置されているものと推測される。